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久しぶりに本屋に入ってみました。 [本]

仕事帰りに大型書店に立ち寄ってみました。ふだん節約のためになるべく本屋に足を踏み込まないようにしているのですが、今日はなぜか磁石に吸い付けられるように、気がつくと文学のコーナーの前にいました。結局、手持ちの現金がなかったので買わなかったのですが、数冊気になる本が見つかりました。


源氏物語 上 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集04)

源氏物語 上 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集04)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2017/09/08
  • メディア: 単行本



紫式部の『源氏物語』は、死ぬまでに一度読んでおかないと、日本人として恥ずかしい小説です。日本の国益に反する人々(と彼らが思い込んでいる人々)をこき下ろすネトウヨちゃんは、まさか、『源氏物語』を読んでないなんてことはないんでしょうね。読んでないのなら、まさに「国賊」と呼んで良いし、まだ日本人にすらなっていませんよ。

『源氏物語』に当たるものは、アメリカならハーマン・メルヴィルの『白鯨』で、イギリスなら、なんだろうか、シェイクスピア以外にもいろいろありますよね。イタリアなら、ダンテの『神曲』、スペインなら『ドン・キホーテ』、アイルランドならジョイスの『ユリシーズ』ですね。中国なら『三国志』でしょうか。


池澤夏樹、文学全集を編む

池澤夏樹、文学全集を編む

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2017/09/08
  • メディア: 単行本



角田光代訳『源氏物語』を含むこの全集を監修したのが小説家の池澤夏樹さんですが、このご時世に時代遅れな全集を出そうと思ったのか知りたいです。


告白 三島由紀夫未公開インタビュー

告白 三島由紀夫未公開インタビュー

  • 作者: 三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/08/09
  • メディア: 単行本



三島が、死の直前に考えていたことを知りたい。


正しい本の読み方 (講談社現代新書)

正しい本の読み方 (講談社現代新書)

  • 作者: 橋爪 大三郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/09/20
  • メディア: 新書



橋爪大三郎さんの本だから、読んでおきたいのですが、アマゾンのレビューを見ると、そうとうにきついことが書いてあります。

和合亮一さんがフランスの詩の賞を受賞 [本]

Fukushima poet Ryoichi Wago wins French award for tweets issued on 2011 disasters | The Japan Times

詩人の和合亮一さんがフランスの詩の賞の外国詩部門を受賞したとのこと。和合さんは東日本大震災の6日後からツイッターに詩を投稿し、一躍有名になった福島在住の詩人である。(もちろんそれ以前から詩人として活躍されていたことも、詩に詳しい人なら誰でも知っているだろう。)その詩を徳間書店が本にまとめて出版している。和合さんは私の直接の知り合いではないが、私の同僚の友人である。これを機に日本の詩人や、政治家や財界人に苦しめられながら被災地に暮らす人々の気持ちが広くあまねく世界に知られるようになることを願う。

吉野源三郎、『君たちはどう生きるか』(岩波文庫、1982年) [本]

君たちはどう生きるか - Wikipedia

私みたいな老いさらばえたオジサンは、「どう生きるか」を考えている場合ではなく、そろそろ「どう死ぬか」を考えたほうがいいのかもしれない。しかし、どう生きるかはどう死ぬかと同義なので、四の五の言わずに読んでみることにした。やはり古典は古典たるべくして古典になっているという思いを新たにした。

この本は、ヨースタイン・ゴルデルの『ソフィーの世界』(1991年)を思わせるような小説仕立ての哲学書である。主人公のコペル君は旧制中学の2年生(15歳)で、父親を亡くしたばかり。父親は銀行の頭取だった人だから、父を失っても家は裕福なままである。勉強はできるのだが、少々いたずら好きなのが玉に瑕。そんなコペル君に父親代わりの叔父さん(法学士)がものの見方、考え方を伝えていくというスタイルになっている。

これはもともと1937年に『日本少国民文庫』の最後の配本として出版されたもの。当時は軍国主義が日ごとに勢いを増していった時期だ。民主主義を破壊し、軍国主義を復活させようとしている安倍政権に対してギリギリと歯ぎしりし、日々歯を擦り減らしている我々ごまめにとって、この本を読むのにこれほどふさわしい時期はないだろう。

人はたいてい自分を中心に据え、自分に都合の良いようにものを見がちであるが、成長するにつれて、少しは世界を客観的に捉えられるようになっていくものである。少しませた中学生くらいになると、まるで評論家のような口ぶりになってくるのも面白い。それはそれで精神的な成長の証であり素晴らしいことなのだが、それだけでは不十分だ。また、そのまま大人になってしまったようなコメンテーターが、テレビで意味のないコメントをするたびに、私は吐き気をもよおしている。

人は誰しも傍観者として生きることはできず、人間関係の網の目の中で生きざるを得ない。自分以外の人間の中にも、自分と同じようにさまざまな思いがあり、それぞれの生活がある。自分の目には見えていないものはこの世に存在していないわけではなく、単に自分には見えていないだけであるということを認識する必要がある。

その上で、人はいかに世界と関わっていくかという問題に関し、他人の命令に唯々諾々と従うのではなく、自分の頭を使って真摯に考えて行動することが重要なのである。

こんなことはわざわざ教えてもらう必要もないほど当たり前のことなのかもしれないが、しかしながら、そんな基本的なことを大人になってもまったく理解できない人が多いように思える。そんなダメな大人にならないように、私は自分の子どもたちに読ませることにした。

丸山真男の解説も実に素晴らしい。


君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

  • 作者: 吉野 源三郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1982/11/16
  • メディア: 文庫



コペル君の家は、父親が亡くなってから、郊外の小さな家に引っ越したとは言え、女中もいる立派な家庭である。そして、彼の旧制中学には、有名な実業家や役人や、大学教授、医者、弁護士などの子息ばかりが通っている。そんな中、数名の従業員を抱える豆腐屋の息子は当然のように貧乏人の扱いになっている。庶民の私にはまったく理解できないが、いまでも有名な私立小中高では、そういう雰囲気が残っているのだろう。自分が生まれた環境にあぐらをかいて、貧乏人を軽蔑するんなエリート階級の子息にこそ読んでもらいたいと思う。本を読めないし、哲学もないし、教養も道徳心のかけらもない安倍総理にも読んでほしい一冊だ。基本的に子供向けの本だから、阿呆でも読めるだろう。



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立松和平「海の命」 [本]

昨晩、小6の次男の国語の宿題の手伝いをしました。

立松和平の「海の命」を息子が読むのをひたすら聞くというものです。

教科書への旅 #11 「海の命」 立松和平

私は息子の朗読を聞いていて、ひどく感じ入りました。

道元禅師について上梓しているわっぺいさんは晩年、仏教に深く傾倒していったようで、この「海の命」にも仏教的な死生観が如実に反映されています。

朗読を終えた息子に、私はこう質問してみました。「なぜ主人公の若者は、最後に巨大なクエを殺さなかったのか」と。

その巨大魚は父親を殺した「海の主」です。だから、クエを殺せば、父親の仇を取ったような気持ちになるはずです。昔の俗っぽいアメリカ映画なら、そんな敵討ちの話で終わらせてしまうかもしれません。

「海の命」の主人公の少年はクエを殺そうとするのですが、クエはどうぞ命を奪ってくださいとでも言うように悠然と構えています。その瞬間、少年はクエは父親の生まれ変わりだと考えるに至り、父親の仇討ちを忘れてしまいます。それは、怨念に突き動かされて漁師になった主人公が、大いなる生命の海を受け入れ、精神的な成長を果たした瞬間なのです。

海を単なる敵と見なすのではなく、自分を導き、自分を育ててくれる場所として、そして、自分の命を先祖から子孫に繋いでいってくれる場所として、少年は静かに受け入れ、一人前の漁師になるのです。そこに私は深い感動を覚えました。思わず涙が出そうになりました。

息子の朗読の直後に脳裏に浮かんだことを、そんなふうにまとめ、息子にぶつけてみました。「へえ、そうなのか、先生はそんなことを教えてくれなかったなあ」なんてチャラっと言っていましたから、若い彼にはピンとこなかったようです。

もしかしたら、ヘミングウェイの『老人と海』よりも、立松和平の「海の命」のほうが、日本人には理解しやすいかもしれません。もし家に、光村図書の小学6年の国語の教科書があったら、一度目を通してみて、お子さんとその話をしてみるのも良いと思います。

今日は3月8日です。あと3日で、ふたたび3.11が訪れます。

この小説を読むことは、日本列島に住む人々にとって、海とは、どういうものだったのか、そして我々はどう生きるべきなのかを考え直す良い機会になると思います。

谷川俊太郎が読む「かっぱ」 [本]

谷川俊太郎が読む「かっぱ」 声と言葉が一体化した朗読:朝日新聞デジタル

若い頃、私は谷川俊太郎さんの朗読を直接聴いたことがある。4回か5回か6回か忘れたけれど、谷川さんの尊いお姿を肉眼で見、彼の美しい声をこの耳で聴かせていただいた。当時から、谷川さんはおじいさんだったが、いまもおじいさんのままである。私にとっては、谷川さんは、永遠のおじいさんである。

人間にとっての世界は言葉でできている。「初めに言葉(ロゴス)があった」と旧約聖書にも書いてある通りである。言葉がなければ、人間は世界を認識できない。言葉がなくても、概念さえあれば、世界を認識できると主張する人もいる。そういうこともあるのかもしれない。しかし、言葉があるからこそ、人間は世界を明晰かつ分析的に捉えることができ、その概念を誰かに継承することができるのだと思う。

言葉は何もビジネスのためだけにあるわけではない。他人にモノを買わせるためにだけ使われる言葉は貧しい。それを実践的な言語というのであれば、そんなものを学べば学ぶほど心が貧しくなっていく。彼らは、単に自分の意思が伝わればいいのだから、覚える単語数は最小限に抑え、極力無駄を排すべきだと考える。しかし、自分の意思さえ伝わればいいとか、何かを無駄だと決めつける人の心はやせ衰えている。そういう人々の目に映っているのは、今月の売上高を示す数字だけなのかもしれない。

そんな心の貧しい方たちは、ときどき詩人の存在を思い出してほしい。

詩人は、ふつうの人間にはなかなか見えない風景を言葉の絵の具を使って描いてくれる。そんな風景画は、人の心に色と奥行きを与えてくれる。フラットな世界に色と奥行きが与えられることは無駄なことなんかではない。


チャールズ・ラム『オデッセウスの冒険』 [本]

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ホメロスの『オデュッセイア』は呉茂一や松平千秋の翻訳も持っているけれど、読みにくい。というわけで、学生の頃に買って、30年間近く押し入れにしまっておいたチャールズ・ラムが翻案した『オデッセウスの冒険』(船木裕訳、ちくま文庫、1988年)を引っ張り出してきて読んでいるところ。通勤電車の行き帰りに読み、2日でやっと真ん中まで来た。

この大叙事詩は、トロイ戦争でギリシア軍を勝利に導いた英雄オデッセウスが、妻の待つイタカ島に戻る途中、怪物ポリュペモスやライストリュゴネスの人食い族、魔女キルケ、スキュレとカリュブディスなど、さまざまな困難に遭いながら、自らの知恵と分別と勇気によってそれらを切り抜け、最後には妻ペネロペと息子テレマコスの待つイタカ島へ帰還するという有名な物語である。

イタカ島に帰還する前に、オデッセウスはパイケアス島に漂着し、王女ナウシカに助けられる。女神アテナのはからいにより、アルキノオス王主催の歓待の席で吟遊詩人がオデッセウスの冒険譚を語り始める。オデッセウスは初め自分の身分を隠していたのだが、自分を称える吟遊詩人の話にふと涙を流してしまう。それに気づいた国王に、オデッセウスは自分こそがオデッセウスであると明かし、自分は10年間もさまよい続ける身であり、なんとか自分を愛する妻の元へ戻してほしいと頼む。この場面が感動的だ(第7章、111ページから115ページあたり)。

みなさまがたから受けた親切の数々、とりわけアルキノオス王! あなたと王女ナウシカのご親切を思うと、わたしはもはやおのれの身分や名前を隠しておくわけにはいきません。これほど親身になってわたしを受け入れてくださるみなさまに隠し事をすれば、このわたしは臆病で恩知らずの男と言われてもしかたない。それでは、名乗ろう。わたしこそ、あなたがなたもいくらか噂でご存知の様子の、かのオデッセウスなのです。これまでにわたしの策略の噂は世界中に知れ渡っています。かりに評判が信じられるものであるならば、全ギリシア軍の勇気を合わせたよりもむしろこのわたしの才知によって、トロイは陥落したことになる。わたしは不運な男で、天の怒れる神神の計らいによって、海上を流浪し、故郷を求めてさすらいながら、いまだに帰りつくことができないのです。わたしの追い求めている国とはイタカ島のこと。ことによると、航海で知られるパイアケス国の船の中には、かつて嵐を逃れて、このイタカのどこかの港に入ったものもおありでしょう。かりにそんな親切を受けたことがあれば、今こそその返礼として、その国の王であるこのわたしを、故国へ送り届けてもらいたいのです。」(pp.111-12)


西洋文化圏では、聖書と並び称せられるほど、人口に膾炙した物語である『オデュッセイア』は、タイトルやキャラクターが映画にも使われているし、文学作品の下敷きにもされている。聖書に次いで西洋文明の核心部分のひとつになっている作品だ。


オデッセウスの冒険 (ちくま文庫)

オデッセウスの冒険 (ちくま文庫)

  • 作者: チャールズ ラム
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1988/12
  • メディア: 文庫



Peter Barry, , Beginning Theory: An Introduction to Literary and Cultural Theory (2009) [本]


Beginning Theory: An Introduction to Literary and Cultural Theory (Beginnings)

Beginning Theory: An Introduction to Literary and Cultural Theory (Beginnings)

  • 作者: Peter Barry
  • 出版社/メーカー: Manchester Univ Pr
  • 発売日: 2009/03/15
  • メディア: ペーパーバック



Peter Barry, Beginning Theory: An Introduction to Literary and Cultural Theory, Manchester Univ Pr; 3版 (2009/3/15)

ようやく読み終えた。文学理論についてわかりやすく解説されているので、興味がある人はここから入るといいだろう。学部時代にこの本があったら、本当に助かっていたと思う。ちなみに翻訳も出ているが、高価だ。

もっとも印象に残ったのは、ほぼ終わりのところで紹介されているPresentismについて。その訳語すら知らないほど寡聞なのだが、Presentismとは文学作品の価値を時代錯誤的に読み解こうとする主義なのだそうだ。従来、作品の評価は作品が書かれた時代枠の中で行うという暗黙の了解があった。その時代の歴史的背景を探ったり、同時代的な作品や、同時代人による評価などと照らしあわせるのが一般的な方法論だった。

しかし、Presentismはそのような暗黙の了解には囚われない。確かに、評価する人間(読者)が100年後の人間であり、かつ異なる文化の人間であるとすれば、どう考えても作品と同じ地平に立つことはできない。そこを割りきって、アナクロに徹するのも悪くない気がする。

私も学生時代に同じような論争を友人としたことがある。作品の評価は現代人の私の視点からすべきか、それとも当時の人々の視点に近づくべきかという論争だ。20年以上も前のことだから、どういう結論が出たのか覚えていないが、いまの私は両方の視点が大切だと思う。作品の価値というものは、読者が作り出すものであり、客観的(科学的)な評価はありえないというのを大前提に立てば、必ずしも時代の枠を絶対視する必要もないだろう。

本棚の掃除の続き [本]

今日も本棚の掃除の続きを行った。作業時間は1時間。本棚2竿の25の棚のうち、今日までに5つ終わらせた。昨日は1つでギブアップしたが、今日は4つできた。

これがなかなか大変な作業で、一つの棚に15分ほどかかるのだ。まず棚から本を抜き出すのが疲れる。ほとんどが洋書なので一冊一冊が大きくて重たい。それらを丁寧にチェックして、「」の「はなぎれ」近くに積もったホコリをブラシで払い、表表紙や裏表紙などにカビが生えていたり、汚れがついていたら、それを雑巾できれいにする。中には、探していたのに見つからず、見つけるのを諦めていた本や、読もうと思っていたけれど、読めずに10年以上経ってしまっていた本が出てくると、懐かしくパラパラとめくってみたりする。そんなことをしていると、あっという間に一つの棚で15分以上かかってしまう。しかも、本棚そのものを雑巾で拭いて乾かし、床に落ちた髪の毛やゴミを掃除機で吸い取って、本を戻すということをするのだから、いくら時間と体力があっても足りないくらいである。

25の棚のうち5つ分終わらせたので、全体の20%だ。5分の4も残っている。気が遠くなりそうだ。

読み終えた本は、本当に邪魔! 6、7年前に2000冊処分したんだけど(ブックオフに売ったり、廃棄したり、アマゾンで売った)、まだ手元に2000冊以上残っている。1階と3階の押し入れにもぎっしり。私が死んだら、洋書はアマゾンで1冊1冊売ったり、神田の洋書専門の古本屋に売るかどうかして、日本語の本はブックオフにでも取りに来てもらうようにと息子に言っているのだけれど、あとに残された息子が気の毒になるほどだ。




ダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』(1719年) [本]

ロビンソン・クルーソー - Wikipedia


ロビンソン・クルーソー (岩波少年文庫)

ロビンソン・クルーソー (岩波少年文庫)

  • 作者: ダニエル・デフォー
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2004/03/16
  • メディア: 単行本



ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』は、あまりにも有名だけれども、実はちゃんと読んだ人が少ない小説のひとつかもしれない。私も学生時代に買った文庫本を、ロビンソン・クルーソーの無人島生活の年月と同じくらいのあいだ押入れの中にしまいこんであったくらいだ。以前取り出してみたときに、文字が小さすぎて老眼の私には読みづらくなってしまっていたので、今回わざわざ図書館で岩波少年文庫版を借りてきて読んだ次第である。

勉強不足のため知らなかったが、通常翻訳されているのは第1部で、本当は第3部まであるという。第1部だけでも、すでにお腹いっぱいである。

一般に流通しているのは無人島生活やフライデーとのエピソードくらいだろう。特にクルーソーがフライデーに言葉を教える場面などがものの本にはよく引用される。しかし、その部分はごくごくわずかしかない。実は、それ以外のエピソードが面白いのだ。事件が次から次へと起こり、アクション映画や戦争映画を思わせるような描写があり、終始飽きさせない。

航海中ムーア人(アフリカのイスラム教徒)の海賊に捕まり、奴隷として生活するが、主人を騙してそこから脱出する。再び血が騒ぎ航海の旅に出るのだが、船が遭難して、彼以外の乗組員全員が死亡する。その後、彼は長い無人島生活を余儀なくされる。28年後、ようやく沖合に帆船が現れるのだが、船は反乱船だった。反乱者たちが島に上陸して船長たちを殺そうとするのだが、クルーソーはフライデーと協力して彼らを救出し、反乱者たちを鎮圧する。そのさまが痛快なアクション映画を見ているような気分にさせてくれる。クルーソーは反乱者の一部を島に残し、そこにコミュニティーを作らせるのだが、これがアメリカの西部開拓時代につながっていくのが手に取るようにわかる。国造りのおおもとはこんな感じだったのかもしれない。帰国後、遭難前に経営していたブラジルの農園からの収益のおかげで大金持ちになる話、陸路でイギリスに戻るまでに300匹の狼に襲われるエピソード、最後に自分が住んでいた無人島を再訪するという話まで本当に盛りだくさんだ。しかも、それぞれのエピソードがまるで実話であるかのようにリアルに書かれていることにも驚く。

出版は1719年だから、16世紀の大航海時代まっただ中の人々の生活や考え方が如実に反映されている。ヨーロッパの白人としての生き方、プロテスタントとしての模範的な生き方がロビンソン・クルーソーを通して描かれ、植民地時代の西洋人の考え方や、キリスト教の基本的な考え方について知るきっかけにもなるだろう。

当時の人々は、小説(novel) というジャンルをどのように考えていたのかもよくわかる。novelというのは「新奇な」という意味だから、おのずと一般の人が体験できないような外国での珍しくて貴重な体験を描いたものとなる。そういう考え方がこの小説そのものに自然に反映されている。

『ロビンソン・クルーソー』は「古い小説だからきっとつまらないだろう」とか、「子供向けの本じゃないの」と思われている方も少なくないと思われるが、機会があったら、手にとってほしい。ハリウッドのアクション映画を見るよりはるかに楽しめることを保証する。

ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』は、ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』と並び称される本である。『ガリバー旅行記』は読んだことはあるが、『ガリバー旅行記』は『ロビンソン・クルーソー』に触発されて書かれたものであることや、スコットランドの航海長アレキサンダー・セルカークの体験をもとに書かれたものであって、1992年に日本人の探検家が実際にその無人島での生活の証拠を特定したという話も初耳だった(ウィキに書いてある)。今回もまた、古典の面白さを再認識することができた。

阿部公彦『英語文章読本』(研究社、2010年)と『英語的思考を読む 英語文章読本II』(研究社、2014年) [本]


英語文章読本

英語文章読本

  • 作者: 阿部 公彦
  • 出版社/メーカー: 研究社
  • 発売日: 2010/03/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



英語的思考を読む ——英語文章読本II

英語的思考を読む ——英語文章読本II

  • 作者: 阿部 公彦
  • 出版社/メーカー: 研究社
  • 発売日: 2014/05/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



アマゾンのレビューで星の数が多かったので、ためしに読んでみた。率直に言って、何を言っているのかわからないし、オモシロイと思ったものがほとんどない。

『英語文章読本』(2010年)のう最初の章(レイモンド・カーヴァーの『大聖堂』を扱ったもの)は面白かったが、それ以外はどれも読む価値がないように感じた。

私の僅かな経験から言わせてもらうと、研究社から出されている本はこの手の駄本がほとんどで、買って後悔することが多い。だから、私は研究社の本は買わないようにしている。運良く今回も図書館で借りたので助かった。

これも大事なことだが、書き手が東大の先生だからと言っても簡単には信用してはいけない。東大の学生は騙せたとしても、他の大学の学生はこれでは騙せない。

たいていの場合、こういう本に手を伸ばす人の動機は、(ストーリーを追うこと以外に)どうすれば英語の小説を楽しめるか、どういう点に着目して読めばいいのか、どうすれば深く味わえるのか、である。この本はそういう動機を持った人の頭の中を整理し、一定の満腹感を与えてくれるようなものではなく、業績づくりのために大学の紀要に出す自己満足的な学術論文を口語調に書き換えただけのものにすぎない。一般の読者にはちんぷんかんぷんだと思う。




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