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革命を起こすしかない。 [学問]

教育現場が崩壊の危機…「先生の数」が全く足りてないらしい - NAVER まとめ

教員の数が足りていないことの原因は単純である。少子高齢化とベビーブーマーの大量退職だけではなく、自公政権が教育費を大幅に削減したためだ。そのせいで、財政難にあえぐ地方自治体が、非正規雇用の教員を増やさざるをえなくなってしまった。一方で、給料の良い民間企業でも人手不足なのだから、低賃金で不安定な上に重労働な非正規雇用の教員になりたがる若者が減るのは当然のことである。

また、自公政権は国立大学の教育学部を廃止するという愚策を実施してしまった。国家の目先の利益になるような人材しか育てる気はないというのだ。だからこそ、政府は軍事開発につながるような理系学部には手を付けなかったのだ。自公政権は教育まで単なる金儲けの道具としか考えていないことがわかる事実である。そんなネオリベの自公政権下では、教育の劣化の進行には歯止めをかけることはできないのは当然だろう。

統計では良い数字が出ているかもしれないが、実際は不景気の真っ只中だ。国家予算が増えないのは、その決定的な証拠だ。教育に関わる人件費を大幅に削減するにもかかわらず、軍事費を増大させ、どうでもいい建物を建て、不必要な大学を次々に建設し、無意味なギャンブル施設を作るのだから、定見がないと言わざるをえない。

そんな国家を破綻させることに貢献するだけの自公政権に対抗し、そして最終的には打倒するために、ただちに社会民主主義的な政党を作るしかないだろう。

今後AIが日常生活に浸透し、人間の代わりに働くようになっていけば、ますます社会主義的な政策が重要になっていくはずだ。それは資本主義と対立するような考えではなく、資本主義の決定的な欠陥を補完するようなものである。日本国民の大多数はまだそのような考えを理解できないかもしれない。しかし、10年後、20年後、社会主義の重要性を理解する人は必ずや増えていくはずだ。無論、国家が自国民を幸福にするために、民主主義を支える市民を育てるという思想も社会主義である。

文法の学習は重要だ [英語]

先週から来週にかけて200人以上の英語のプレゼンを聞かなければならない。ようやく80人ほど済んだところだが、毎朝目が覚めるたびに「原因がはっきりした」めまいに苦しんでいる。

めまいの原因は、学生たちの使う英語の分からなさである。レベルの高いクラスでは、英語の発表を聞いても、けっこうな割合で内容が理解できるから、私のリスニング能力の問題ではないことは明らかである。彼らの発表の9割は、何を言いたいのかまったくわからないものだ。そうなってしまう原因は、英文が文法的に正しく書けないこと、発音が下手すぎること(お経になっている)、文章の構成がわかっていないこと、議論が正しくできないこと(身内同志での批判を避けること)、考えていることがつまらないこと、主張を明確に伝える手段を知らないこと、パワポのスライドが効果的に作れないこと、などが指摘できる。

その根本的な原因は、おそらく高校までの教育が単なる詰め込み式になっていて、自分の頭でものを考え、それをわかりやすく誰かに伝えるという教育がなされていないことにあるのだろう。「ゆとり教育」を廃止してすべてが解決したかのように錯覚している人がいるが、それは完全な間違いである。思考停止した日本人を増やしただけなのだ。その反省に基づいて、「ゆとり教育」の趣旨を正しく理解する努力をし、その信念を徹底する必要があると思う。

プレゼンの原稿は発表後に提出してもらうのだが、案の定、解読不可能な暗号文である。おそらく、グーグル先生に翻訳してもらっただけのものなのだろう。グーグル先生は万能だと信じている学生がいるが、オンラインショッピングサイトに氾濫している中国語から機械翻訳システムを通して訳されたと思しき商品説明の文章を見れば一目瞭然だろうが、学生の発表はあのレベルのわからなさなのである。

今の学生たちに必要なものは上記のように数多あるが、もっとも必要なものは、文法の徹底した学習であろう。単語をルールに従って正しく並べてくれれば、わかる文章になるのだが、彼らの作る文章は、ほぼすべて破格なのだ。三単現のSを落とすとか、単数複数の区別をしないとか、時制を使えないのはもちろんのこと、使っている単語は意味不明、しかも語順がめちゃくちゃで、さらには関係代名詞もどきを一文の中に何個も入れたり、複雑すぎる複文になっていることが多いのである。読んでも理解できない暗号文を、聞いて理解できるわけがないのだ。そんな事態になっているのは、会話重視のいい加減な教育をしているからだ。

会話のみを重視すると、単語だけで会話が成り立つと錯覚する人が増えてしまう。同じ文化圏の人間同士で学習しているとそういうことがままある。「英語は道具なのだから、通じればいい」ということを言う人の多くは、鉛筆がpencilであるように、愛がloveだと即座に翻訳可能であると思いこんでいる。彼らはある言語の中での一つの単語は、別の言語にも必ず対応物があると根拠なく信じているらしい。「風呂!」で意味が通じるのだから、「bath!」と言えば、西洋人の妻が風呂の準備をしてくれると考えている日本男児はいないだろうが、英語を道具だというのは、その程度の低レベルの主張だということは明らかだ。

文法というのは、もちろん、単語の選び方だけではなく、単語の並べ方である。単語の並べ方を変えると、とたんに意味がわからなくなったり、意味が変わってしまったりする。(これについてはここでは詳しく説明しない。)それがわからない人が、英単語を日本語訳と対応させながら覚えても、永遠に英語は理解できないし、使えないままである。

昨今の英語教育をこのまま無駄に終わらせないためにも、文法の学習を重視してもらいたい。「会話」を重視するあまり、「文法」を疎かにする人たち(教員も含む)が多いが、それが、英語教育を永続的に成功させない陰謀なのではないかとさえ思えてくる。

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