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ジェームズ・ファーゴ監督、『ダーティーファイター』(1978年) [映画]


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ダーティファイター - Wikipedia

腕っ節の強い一途な男が女に恋をし、フラれるという話。

ストリートファイトで生活費を稼いでいるファイロ・ベドー(クリント・イーストウッド)が、ドサ回りのカントリー歌手のリン・ハルゼイ=テイラー(ソンドラ・ロック)に恋をする。しかし、リンはステディがいながら、誰とでも寝る女だった。彼女は突如姿を消してしまう。一途なファイロはリンを追ってコロラドへ向かう。一方、ファイロも、喧嘩相手の暴走族ブラックウィドーやロス市警の警官にも追われる。

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ファイロはコロラドのバーでリンを見つける。

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しかし、あんたなんかに興味はないと言われ、ファイロはフラれてしまう。

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やけっぱちになったファイロは再び賞金稼ぎのストリートファイトに出る。

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全戦全勝のファイロが、なぜかわざと負けてやる。相手のプライドを潰すことが罪であると気づいたからかもしれない。

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この作品は次作『ダーティファイター 燃えよ鉄拳』(1980年)に比べると、脚本も出来が悪いし、盛り上がりにも欠けており、消化不良の感じがする。

概して、クリント・イーストウッドの出演する初期の西部劇は暴力を肯定的に描くものが多かったが、中期以降は暴力否定に変わっていった。この作品も喧嘩のシーンが多いけれども、背景には暴力の否定があり、銃の使用も抑制的に描かれている。ただ、それが最後のストリートファイトでファイロが相手に負けてやるシーンに整合性や説得力をもって繋がっていない。それがエンディングのカタルシスのなさの原因になっている。



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マーヴィン・ルロイ監督、『若草物語』(1949年) [映画]


若草物語 日本語吹替版 ピーター・ローフォード エリザベス・テイラー DDC-029N [DVD]

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若草物語 - Wikipedia

若草物語 (1949年の映画) - Wikipedia

マーチ家の四姉妹の成長を描いた作品。次女のジョー(ジューン・アリソン)は作家志望。原作者のオールコットがモデルだ。

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写真の中央にいるのが母親(メアリー・アスター)。真後ろが主役のジョー。母親の左が長女のメグ(ヒッチコックの『サイコ』の中で早々に殺されてしまうマリオンを演じていたジャネット・リー)。右が四女のエイミー(エリザベス・テーラー)。床にしゃがんでいるのが、三女のベス(マーガレット・オブライエン)。

母親のメアリー・アスターが、43歳。
長女のメグ(ジャネット・リー)が22歳。
次女のジョー(ジューン・アリソン)が32歳。
三女のベス(マーガレット・オブライエン)が12歳。
四女のエイミー(エリザベス・テーラー)が17歳。

年齢の順番ではないので、混乱してしまう。母親がジョーに向かって「次女のあなたが一番しっかりしていたが、今はあなたが一番心配だ」というシーンが後半にあるのだが、皮肉なことに、説得力がある。

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おてんば娘ですぐに短気を起こす次女のジョーは、隣家に住むローリー(ピーター・ローフォード)という青年と仲良くなる。

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ジョーは、長女のメグがローリーの家庭教師といつの間にやら懇意になっていることを知る。メグが知らない男と仲良くなることは下品であるとジョーに警告していたのを思い出し、ジョーはメグに不快感を示すややコミカルな場面である。

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戦争に行っている父親が怪我をして病院に入院している知らせを受け、母親は急いで駆けつける。母の留守中に、四女のベスが猩紅熱(しょうこうねつ)に感染し、倒れてしまう。しかし、両方とも大事には至らず、ベスも数日後に回復し、父親も帰郷する。

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長女のメグは、めでたくローリーの家庭教師と結婚。すぐに双子の母親になる。

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メグの結婚式当日、ローリーは意を決してジョーに求婚するのだが、あえなく撃沈。その後、二人は疎遠になってしまう。ジョーは、作家の修行をするために、ニューヨークに出る。

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ジョーは下宿先でドイツ語の大学教授と意気投合する。教授はジョーが書きたくもない嘘っぱちな物語を書いていることを見抜き、自分の思いを素直に表現する小説を書くようにアドバイスする。ニューヨークでの生活がいよいよ始まるという時に、三女のベスの容体が悪いという知らせを受け、ジョーは帰郷せざるをえなくなる。

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ベスの命は短いことを知り、ジョーは涙を流す。

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四女のエイミー(エリザベス・テーラー)は、ヨーロッパ旅行でローリーと再会し、結婚することになる。それを機に、ジョーとローリーはふたたび「友達」に戻るのではなく、「兄妹」になったことを祝福する。ほどなくして、妹のベスが亡くなる。その経験をジョーは小説にまとめ、原稿をニューヨークで知り合ったドイツ語の大学教授のもとに送る。

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教授はその小説を読んでいたく感激し、友人に頼んで出版してもらう。できあがった本を持参して、ジョーの住む家を訪ね、彼女に求婚する。

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生活費に困っているマーチ家は、慎ましい生活をしている中産階級という設定だが、私のようなふつうの現代の日本人の水準からは、上流階級にしか見えないのがなんとも情けない。

物語としては、あまりおもしろいものではなく、出来もよくない。


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西河克己監督、『伊豆の踊子』(1963年) [映画]

伊豆の踊子 (1963年の映画) - Wikipedia





結ばれる運命ではない男女が出会い、しばしの間、同じ時間を楽しむが、最後に無情な別れの時がやってくるという話。原作は川端康成。恋愛の物語は回想シーンの中で語られる形式になっているため、年齢層の高い観客も素直に共感できる。

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大学教授の川崎(宇野重吉)は、学生(浜田光夫)から、仲人になってほしいと頼まれる。相手はダンサー(吉永小百合)。それをきっかけに、若き日の踊り子との恋愛を思い出す。この現代の場面では、モノクロで撮られており、回想シーンからカラーに変わるという演出だ。(和田勉演出のNHKのテレビドラマ『天城越え』で宇野重吉を起用したのは、この作品に由来していたのかもしれない。)

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天城トンネルを抜けるとカラーの世界になったほうが良かったかも。

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あてどもなく「天城越え」の旅に出た若き日の川崎(高橋英樹)は、伊豆大島に戻る途中の旅芸人の一座と道連れになる。

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踊り子(吉永小百合)と大学生の川崎(高橋英樹)はお互いにお互いを意識しており、言動がぎこちない。

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踊り子は16歳になるのだが、まだ子供っぽいところがあり、恥ずかしげもなく露天風呂で裸体を晒す。遠景から撮影されているからわからないが、おそらく吉永小百合本人ではないだろう。山口百恵版の『伊豆の踊子』にも同じシーンがある。あちらでは百恵自身がヌードを披露しているように見えるが、本当のことはわからない。

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踊り子が温泉街の子どもたちと無邪気に鬼ごっこをして遊んでいると、路地で自分と同じくらいの年齢の女性(十朱幸代)が床に臥せっているのを目撃してしまう。彼女は無邪気な子どもたちに「いつ死ぬの」と聞かれ、当たり前のように「もうすぐよ」と微笑みながら答える。(死んだほうが楽だと思えるくらい、過酷な生活であることが想像できる。)この病に苦しむ酌婦(売春婦)を見たことをきっかけに、踊り子は死んだ弟のことを思い出し、とたんに鬱屈とした気持ちになってしまう。この作品には死のイメージが散りばめられている。それは踊り子と学生の「別れ」の究極の形なのかもしれない。

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当時は、伊豆の温泉街も、男女混浴が当たり前だったようだ。旅芸人の一座を率いるのは、三味線と唄を担当する浪花千栄子。多くの作品では大阪弁を話している彼女が標準語を使っているのを初めて見た。婿は大坂志郎。踊りが上手くてびっくりした。大坂志郎の妻は、二度の流産を経験し、身体が相当に弱っている。吉永小百合は大坂志郎の妹という設定。

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カラスの行水(浪花千恵子は「スズメの行水」と言っている)を済ませた踊り子は、川崎と五目並べを始める。お互いを意識しているのか、意識していないのかわからない感じをうまく出している。

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河津七滝(かわづななだる)の初景滝の前で、川崎は、大坂から、流産のことなどを教えられ、天城越えの終着点の下田で死んだ子供の供養をするので、これも何かの縁だから、それに出て欲しいと頼まれる。この滝は去年の夏に私は家族旅行で訪れたのだが、そのときに踊子と学生の像の前で記念撮影をした覚えがある。

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亡くなった桂小金治師匠は、字の読むのが苦手な踊り子に「水戸黄門」を読んでやる鶏屋(鶏肉を宿屋に卸す業者)を演じている。

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吉永小百合の踊りもいい。

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左から二番目が南田洋子。彼女は酌婦(売春婦)の一人で、若い酌婦(十朱幸代)の姉貴分を演じている。宿屋の女中たちに、十朱幸代が死んだことを教えられ、お前が殺したと罵られ、風呂場でつかみ合いの大げんかを始める。川崎(高橋英樹)が同じ風呂に入っていることに気づいていないのが面白い。その後どうなったのだろうか。

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川崎は、下田で一緒に活動写真(映画)を観に行きたいという踊り子の願いを実現するためにやってくるのだが、踊り子は急にお座敷がかかったために一緒に行けないと告げる。一方、川崎は、急なことだが、明日の早朝、東京に帰らなければならなくなったと言う。

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踊り子が踊っている場面と、川崎が踊り子を忘れようとしている場面が交互に映される。

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翌朝、船に乗り込む川崎を、踊り子が追いかけてくる。

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切ないシーンである。

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そして、現代に戻る。川崎(宇野重吉)は、学生の浜田光夫とダンサーの吉永小百合に、今度家に来るようにと誘い、願いが聞き入れられた二人は大喜びで去っていく。

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山口百恵と三浦友和の版には、こういうシーンはなかった。もちろん、原作にもない。

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浜田光夫と吉永小百合は『キューポラのある街』(1962年)、『青い山脈』(1963年)、『若い東京の屋根の下』(1963年)などヒット作品を作り出しているコンビ。この二人が最初と最後を締めるとは、大サービスである。


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Are you free? [雑感]

他人の言葉にいちいち傷つくような年齢ではないのかもしれないのだけれど、「お父さんは暇だよね」なんて息子を相手に私の陰口を叩く妻の声を聞くと、しばらくは気持ちが沈んで、何もやる気が起きなくなってしまう。妻は育ちが悪いせいか、昔から口が悪く、人のやる気を削ぐ達人だから、妻と話していると必ずと言ってよいほど自尊心が傷つき、生きているのが辛くなる。「あなたはプライドが高い」などと20年近く妻に言われ続けて、私の自尊心はすでにボロボロ。どうせ何をやってもダメな人間だと思うような諦めの塊のような人間になってしまった。

他人の目には暇そうに見えるかもしれないが、私は私なりにいろいろやることがあって本当は目が回るくらいに忙しい。妻は知らないが、実は睡眠時間さえ削っているのである。何もやることがなくて、うんざりするような瞬間は一日の中でただの1秒もない。一日24時間しかないのがまったく残念なくらいだ。気がつくと1日が終わりかけている、ということの繰り返し。毎日、消化不良気味なのである。

食後にテレビを見ていたら、潔癖症の美男子が女性コメディアンの汚い部屋を片付けるという番組を放送していた。私も妻も潔癖症の美男子の立場で感想を言い合っていたのだが、よく考えたら、妻は女性コメディアンと同じように整理整頓が苦手だし、ちっとも掃除をしないのだから、女性コメディアンに共感すべきなのだ。

家の掃除やメンテナンス、備品の補給、洗車などはすべて私の担当になっている。蛇口の周りの汚れも、流し台の排水口のフィルターも、洗濯機のフィルターも、エアコンのフィルターも、換気扇のフィルターもみな私が掃除をしている。妻が掃除をするのは、ゴミが目につきやすい床ばかり。テレビが手垢とホコリまみれでも、いっさい手を付けない。ガラス窓のサッシに誇りが溜まっていても、黒いカビが生えていても何もしようとしない。玄関が散らかっていたり、土で汚れていても、何もしない。トイレの掃除も私の仕事。ペットのトイレも私しか掃除しない。ゴミの分別もゴミ出しもみな私の役目。妻は食事もろくに作ろうとしない。ほうっておくと毎日、惣菜ものになるし、ひどい場合は冷凍食品で済ましたり、夕飯にそうめんやうどんということさえある。栄養なんて何も考えていない。味噌汁はたいていインスタントで済ます。ないときは、お茶だけ。そういうだらしない悪妻のせいで、私はちっとも暇にならない。妻のせいであまりに忙しすぎて、本業まで手が回らないのだ。今日は、あまりに腹が立ったので、妻に直接言ってやった。

ところが、責任を回避するのも得意技の一つである妻は、「年をとると掃除なんてだんだんしなくなるものよ。あなたの実家だってそうでしょ」と話をすり替える。どこかの卑怯者の首相みたいな手口を使う女だ。私も負けてはいられない。「おいおい、俺は年をとっても掃除をしているし、うちの実家だって毎日掃除してるんだよ。孫が遊びに来て、お菓子のカスをこぼすので、父親が毎日掃除機をかけて、帰るたびにきれいになっているくらいだよ。何を言っているのかね、あなたは。」

その後、妻は台所に退避。私も自分の部屋に悠々と戻った。

妻は私を暇だと言うだけではなく、近所のおじさんやおばさんまでも、「あの人は暇そうだ」と陰口を叩く。いったい、暇の何が悪いのか。暇というのは、誰かに拘束されていない時間。その時間を貴重だと思っている私のような人間の捉え方と、暇は非生産的な時間であると思い込んでいる人間とは、住んでいる世界が違う。暇を肯定的に捉える人間と、否定的に捉える人間は一緒には生きられそうもない。

Freeというのは、自由という意味であるが、何かから解放されているという意味だ。拘束されていない、奴隷状態にはなっていないという意味。だから、労役から解放されている「暇」は、本来、非常に肯定的に捉えるべきものなのである。暇を否定的に捉えるのは、意地汚いビジネスマン(起業家)の思想だ。(「意地汚いビジネスマン」という表現は限定用法であって、ビジネスマンがすべて意地汚いという叙述用法ではないので注意を願いたい。)搾取される側の労働者は、暇でいられることを、ありがたく思わなければならないのだ。


リチャード・リンクレイター監督、『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』(1995年) [映画]


ビフォア・サンライズ 恋人までの距離 [DVD]

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恋人までの距離 - Wikipedia

アメリカ人のジェシーとフランス人のセリーヌが、ヨーロッパの長距離列車の中で出会い、恋に落ちる。二人はウィーンで途中下車し、翌朝まで街をさまよい歩き、半年後に再会することを約束して別れる。ロマンティックで切ない話だ。ジェシー役のイーサン・ホークは『いまを生きる』(1989年)のロビン・ウィリアムズを慕う生徒の役などで有名。セリーヌ役のジュリー・デルピーは『ゴダールの探偵』(1985年)がデビュー作。ジュリー・デルピーは英語が非常にナチュラルで、本当にフランス人なのかと疑わしくなるほど。

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ウィーンの街を歩き回るのに疲れ、喫茶店に入って、今日一日のことをそれぞれの友達に電話で報告するという遊びをする場面。もちろん1995年当時だから、ふつうの学生は携帯電話など持っていない。この遊びの中で、それぞれ相手に言及するのに、「彼女」「彼」という具合に三人称を使う。こんなふうに間接的にお互いに対する気持ちを表現する行為は、私たちは日常的に行っていることであり、それが上手に使われている。

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夜明け前に、何かのモニュメントのところで、イーサン・ホークがW・H・オーデンの詩を朗々と朗読するディラン・トーマスの真似をする。これも何かを借りることで、自分の気持ちを表現しようとする人間的な行為である。

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列車の中で口喧嘩をしていた迷惑な夫婦から逃れるために、セリーヌは座席を移動し、そこでジェシーと出会ったのだが、最後にその話に戻ってくる。もし結婚しても、自分は相手に飽きることはなく、相手のことを深く知ることで、よりいっそう好きになっていくタイプであると表明することで、セリーヌはジェシーへの愛を表現しようとしている。私のような中年男にとっては、非常に切ないシーンに思える。

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この構図は美しい。一服の絵画のようである。

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この出会いを美しい思い出にするために、もう二度と会わないことにするという約束だったが、別れ際に、半年後に会うことを約束してしまう。さて、それがどうなるのか、次回作の『ビフォア・サンセット』(1995年)を観てのお楽しみ。

言葉の横溢やペダンティック(衒学的)な会話は、インテリな若者に特有なもの。観ている間、なぜだか私の大好きな作品であるジャン=リュック・ゴダールの『男性・女性』(1965年)の中のジャン=ピエール・レオーとシャンタル・ゴヤのやりとりを思い出してしまった。きっとリチャード・リンクレイターはゴダールを意識していたはずだ。

ちょうど私が外国をバックパックを背負って旅していた頃を舞台にした作品だし、実は私も似たような経験をしているので、いろいろ思い出して、二人の会話を追うのがちょっと辛いところもあった。もっと若い時に観ておけばよかった。そうすれば、素直に共感できたのに。


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MINIのコンバーティブル [物欲]

MINI Japan - THE NEW MINI CONVERTIBLE SPECIAL SITE

MINIをドライビング中の360度の視界を見ることができます。空が氣持ちいい。動画の疑似体験だけでも、その爽快感が伝わってきます。花粉症の人は症状が悪化しそうで心配ですが。

一番安いモデルだと、342万円。お高いですねえ。

FREETEL Priori3 LTE [コンピュータ]


FREETEL Priori3 LTE 特長|機種一覧|FREETEL(フリーテル)

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ポイント差し引くと1万円ほどで買えました。塾通いを始めた次男へのプレゼントです。操作がもたつくこともないし、これで十分です。1年間に10万円もスマホに支払うようなキャリア契約をしている人の大多数は、スマホの機能を十分に使いこなせていないのですから、いますぐにでも格安スマホに替えたほうがいいと思います。

androidスマホの唯一の不満は、クラウド印刷機能です。iPhoneだとAirPrint機能で簡単に印刷することができるのですが、プリンタのメーカーが提供している専用のアプリを使わないとウェブページすら印刷できないのは面倒です。




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石井輝男監督、『網走番外地』(1965年) [映画]


網走番外地 [DVD]

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網走番外地 (東映) - Wikipedia

ひとことでまとめると、模範囚の男が脱獄に巻き込まれるという話である。

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網走刑務所に入所した橘真一(高倉健)を保護司の妻木(丹波哲郎)が見舞いに来る。妻木は橘がなんとか早く出所できるように動いてくれているのだが、妻木の意図とは裏腹に、刑務所内で脱獄の計画が持ち上がる。

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橘真一(高倉健)は乳がんの母の体調を気にし、一日も早く出所を願っている。その気持ちにつけ込むように、権田権三(南原宏治)らに一緒に脱獄するように説得される。だが、橘は、妻木(丹波哲郎)との約束との間で板挟みに遭い、悶え苦しむ。

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橘が脱獄に乗り気ではないのは、足手まといになる老人の阿久田(嵐寛寿郎)を監房の中で殺さなければならないという理由もある。心の優しい橘にはそんなことは許容できない。阿久田殺しの計画が実行される寸前に、その計画に感づいていた阿久田は、彼らから凶器を奪い取り、それまでその威光を借りて親分風を吹かしていた依田(安部徹)が「兄貴」として崇拝する「八人殺しの鬼寅」本人であることを告白し、同部屋の囚人たちをひれ伏させてしまう。「水戸黄門」のようなシーンである。

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ところが、翌日、外での作業へ向かう途中、権田権三(南原宏治)がトラックから脱走を図る。同じ鎖で繋がれていた橘真一(高倉健)は、とうとう脱獄に巻き込まれてしまう。

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二人はトロッコに乗って猛スピードで逃げ、それを丹波哲郎が同じくトロッコに乗り、猟銃をぶっ放しながら追いかける。まるでルパン三世を追いかける銭形警部のようである。

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健さんと南原宏治は丹波哲郎を巻き、鉄道の線路にたどり着く。そこで、二人は通過するSLに鎖を切断させることを思いつく。鎖の切断には成功したが、安全地帯だと思っていた線路の外側に横たわっていた南原は大怪我をしてしまう。

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いったんは、健さんは南原を見捨てようとするのだが、すぐに思いとどまり、南原を引きずりながら人里へ向かおうとする。そこへ、丹波哲郎が到着する。

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丹波さんは、健さんを馬鹿呼ばわりする。健さんの母の手術が成功したとの知らせを受けていたし、刑期があと1ヶ月で終わるのに、わざわざ脱獄を図る理由がわからなかったからだ。しかし、健さんが脱獄の首謀者ではなかったことを理解し、怪我をした南原を病院に連れて行くことに同意する。男同士の信頼が確認された瞬間である。

この後、当然だが、健さんは再び入獄することになる。そうして、『網走番外地』シリーズ全18作が作られることになるのだ。それにしても、よくこのモチーフで18作品も作り続けたと思う。監督は相当にうんざりしていただろう。




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オットー・プレミンジャー監督、『帰らざる河』(1954年) [映画]


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帰らざる河 - Wikipedia

中年男と若い女(+男の子)が激流を筏で下りながら、真実の愛を掴むという話。激流下りが「吊り橋効果」になっている。公開当時の年齢はロバート・ミッチャムが37歳、マリリン・モンローが28歳。ミッチャムはデヴィッド・リーン監督作品『ライアンの娘』(1970年)の寝取られ男の教師役でも有名。

マット・コールダー(ロバート・ミッチャム)は、ある事情から息子のマークをバーの歌手兼ダンサーのケイ(マリリン・モンロー)に預けていた。

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街に戻ってきたマットはマークを引き取り、川沿いの建つ小さな家に戻る。

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そこへ、ケイと恋人のハリー(ロリー・カルホーン)が筏で通りかかる。ハリーは、賭けで自分のものになることになった金鉱の登記をするために下流の街に行く途中だった。しかし、ハリーはマットから奪った銃でマットを脅し、馬を盗んで、街へ向かう。

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頭を殴られて気を失ったマットを介護するためにケイは残ることにする。マットの意識が戻るやいなや、インディアンたちがマットの家を襲撃し、火を放つ。三人は慌てて筏に飛び乗って川を下り始める。夜が更ける前に、三人は野宿。恋人のハリーからマットの素性について聞かされていたケイは、マットが殺人を犯したために刑務所に入っていたことや、相手を背中から撃ったことを批判する。また、ハリーに対する憎しみを捨てて欲しいと頼む。この話を聞いていた息子のマークは、父親が相手を背中から撃った卑怯な人間なのかもしれないという疑いを抱く。しかし、父親のマットは、自分の大切な友人を守るためだったのだと息子に教え諭す。

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激流と飢えで疲労困憊したケイは、筏の上で倒れてしまう。今度は立場が逆転し、マットがケイを看病する番になる。寒さで震える彼女の体や脚をゴシゴシ擦るシーンが結構エロい。その後、興奮したマットは、回復したケイを押し倒し、山中で犯そうとする。そこに、二人の男が現れる。運良く、マットは一人から銃をせしめることに成功する。

だが、筏で下り始めた3人を再度危機が襲う。しつこいインディアンが彼らを追いかけてきたのだ。

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三人はインディアンに襲われるが、なんとか逃げ切る。しかし、またもや激流が彼らを襲いかかり、マットは川に落ちてしまう。しかし、この旅の中でより逞しくなったケイはしっかり舵を取って急流を越え、マットを救出することに成功する。

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そして、目的地に到着。

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ケイはハリーを説得し、彼に復讐心を抱くマットとしっかり話し合ってほしいと頼む。

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ところが、性根の腐ったハリーは拳銃でマットを撃ち殺そうとするのだ。

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それを見たマークは、父親を守るために、とっさに銃で背中からハリーを撃ち殺してしまう。これは父親がしたことと同じことである。自分の大切な人を守るためには、人を殺すこともやむを得ない。そういう思想がいかにもアメリカ的である。

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億万長者になった恋人を失ったケイは、再び、しがない歌手の仕事を始める。

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「帰らざる河」という失恋の歌を歌い終わったばかりのケイをマットがかっさらい、無理やり馬車に乗せる。「どこに連れて行くのか」と聞くケイに、マットは「家だ」と答える。ケイが脱ぎ捨てたハイヒールが映って映画はジ・エンドとなる。インディアンに燃やされた家をマットたちは再建できたらしい。

この作品でも、マリリン・モンローの演技力と歌唱力には圧倒された。彼女の才能は再評価されるべきなのではないかと思う。


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