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ベネディクト・アンダーソン、『定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』 [本]


定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)

定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)

  • 作者: ベネディクト・アンダーソン
  • 出版社/メーカー: 書籍工房早山
  • 発売日: 2007/07/31
  • メディア: 単行本



定本想像の共同体

定本想像の共同体
著者:ベネディクト・アンダソン
価格:2,160円(税込、送料込)
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まだ、読んでいる途中だが、ひとこと述べたくなってしまった。とにかく、翻訳が生硬で読みにくい。原文の骨格を意識しないまま、日本語らしい語順にそのまま直しているので、名詞の前に長々と修飾節が続き、文の終わりまで読んでから、最初に戻って読みなおすようなことが続き、だんだん腹が立ってきた。いまどきこんな昔ながらの典型的な翻訳調で商売している人がいるとは驚きである。原文もわかりにくいのだろうが、翻訳のほうがそれにもまして難しい。私が心底嫌いなタイプの翻訳だ。


エッセイの型 [学問]

授業で提出が求められるレポートやエッセイ(要するに、小論文のこと)にはひとつの型がある。その型に沿って書かれていないものは、評価対象にはならない。その型は、日本人が思いつくままに書く際に無意識に用いるようなものではないので、理解し、かつ使いこなすのはきわめて難しい。その型とは、文章全体を3つのパートに分けるというものだ。いまからそれらを説明したい。

第1のパートはイントロダクション(導入)である。ここでは、これから展開する話題に対して読み手に関心を持ってもらい、書き手は「何をしたいのか」を明示する部分である。「天声人語」などでは、関心を持ってもらうという意識はあるものの、この文章で今から何をしようとしているのかが明示されないため、どこに連れて行かれるのか不安に駆られてしまう。この点が、英語のエッセイの定義には合致せず、模倣すべきよい文章とは認められないのだ。

第2のパートはボディ(本論)である。このボディは複数のパラグラフ(段落)から構成され、それぞれのパラグラフの冒頭には、全体の要約になっている抽象的な文が置かれる。そのあとに例証や論証という具体的なディテール(詳細)が語られる。

第3のパートはコンクルージョン(結論)である。結論というのは、文章全体のまとめである。いままでどんなことを語ってきたのかを振り返っておさらいするのだ。もちろん、そこで終わってもいいのだが、さらにそのあとに展開を付け足すことも多いし、落語のように、マクラの中で張っておいた伏線を回収して落とすということもある。

授業で提出が求められるエッセイとは、こういう型に沿って書くのが常識である。この形で書かれていれば、要約がしやすいので、読者は比較的短時間に内容をつかむことができるし、論理的整合性も確認しやすい。プレゼンテーションでも同じである。この型に沿っていれば、話の構造がつかみやすいため、内容を理解しやすいのだ。案外気づいていない人も多いのだが、テレビのドキュメンタリー番組や情報番組のほとんどは、これと同様の型にしたがっている。今度テレビを見る機会があったら、情報を提供する際に用いられる「構造」に注意してご覧になってみることをおすすめしたい。

株価なんて水物 [雑感]

明日2月1日(月)の日経平均株価はおそらく下がるだろう。

日銀の「マイナス金利」導入決定は、アベノミクスの行き詰まりを証明してしまったからというのがその理由の一つ。さらにそれが金融株の下落を招くことが必至だからだ。もうひとつは愛知製鋼知多工場で1月8日に起きた爆発事故の影響で、トヨタが生産ラインを2月8日から1週間程度止めることを検討しているからだ。これでトヨタ株が上がったらどうかしていると言わざるをえない。

日銀導入「マイナス金利」 庶民の家計にプラス材料なし | 日刊ゲンダイDIGITAL

トヨタが国内生産休止を検討、部品工場爆発で : 経済 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

もちろん株価なんて水物なので、上がっても下がっても後からいい加減な理由をつけられるんだよね。

重要なのは公共性 [雑感]

甘利元大臣の贈賄事件に関して、田中角栄が動かしたお金と比べたらはるかに額が小さいのだから、そんなことでいちいち大騒ぎするなとか、これはアメリカの陰謀ではないかなどと、戯けたことを言っている政治家や、それを真に受けるメディアがあって笑止千万である。今朝、フジテレビで、石原慎太郎(まだ生きていた!)もそんなことをほざいていた。

重要なのは、政治に賄賂を持ち込んではいけないということだ。お金を貢いでくれる人に有利なように動いていれば、そういうお金をいくらでも政治家に献金できる金持ちや大企業が有利になるように社会システムが構築されていき、無産階級である一般庶民にとっては暮らしにくい社会になっていってしまう。この国に住んでいるのは金持ちだけではない。むしろ、圧倒的多数が貧乏人なのだ。民主主義は多数決だというのなら、多数決を取れば、大多数を占める貧乏人の意見が通らないとおかしいではないか。

もしお金を貢いでくれる人に有利になるように社会を作り変えることを大目に見ろというのであれば、教師が成績を人質にして生徒の親に金品を要求することも容認・推奨されなければならない。もし甘利氏が犯罪者ではないというのなら、たかり屋の教師も犯罪者ではないということになる。警察官も同じことが言える。お金と引き換えに犯罪を見逃してやる警察官が発展途上国にはよくいるらしいが、それも法律違反ではないということになる。われわれはそういう社会を目指しているのだろうか。

政治家も教師も警察官も「公共性」を重んじなければならない。私利私欲に動かされるような者は、さっさと社会から退場すべきである。

もし甘利氏の贈賄事件が許されるということになるのなら、それは日本が企業家と政治家が結託したコーポラティズムの罠にハマっているということだ。労働者は有権者としての資格はなく、大きなお金を動かせる大企業や富裕層が支配する社会になったということである。そんな社会を我々は容認していいのだろうか。額の大小は関係がない。倫理を問題にしているのでもない。私が重要視しているのは「理念」である。我々はどんな社会を理想とすべきかということだ。腐敗臭が漂う自民党に洗脳されたメディアは相も変わらず、ヘタレな報道をしているが、彼らもさっさと退場した方がいい。


『俺たちのBL論』:面白そうだから、買って読んでみます。 [本]

俺たちのBL論

俺たちのBL論
著者:サンキュータツオ
価格:1,728円(税込、送料込)
楽天ブックスで詳細を見る


俺たちのBL論

俺たちのBL論

  • 作者: サンキュータツオ
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2016/01/21
  • メディア: 単行本



なんか、面白そうだから、買って読んでみます。

2016年01月28日(木)サンキュータツオ×春日太一「俺たちのBL論」Session袋とじ - 荻上チキ・Session-22

人間の潜在意識を支配しているのは、性欲だけではないんだよ。

「トイレのないマンション」 [雑感]

俗に、原発は「トイレのないマンション」と呼ばれている。この言葉は、核廃棄物を処理する能力がないままに原発を稼働し、再処理する手段もなく、捨てる場所も決められないままに核廃棄物を出しまくっていることを揶揄する言葉だ。今回は、それと同じような言葉を考える遊びをしてみよう。

「トイレットロールのないトイレ」

これはシャレにならない。でも、アラブ人やインド人のように手を使って水で洗えばいい。

「昇給のない会社」

働く気力が失われるねえ。

「園児のいない幼稚園」
「大学生のいない大学」
「子供のいない先進国」

これらはまさに日本の姿そのもので、悲しくなる。

とにかく、株価と物価さえ上がれば、それでいいと思っている阿呆が政権を握っている間は、日本の将来は明るくならないことは確かだね。


マグロとアボカドのカルパッチョ [料理]

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夕食は、マグロとアボカドのカルパッチョ、チーズとじゃがいも入りスパニッシュオムレツ、タラのムニエル。ずいぶん贅沢したけれど、それでも1100円で済んだ。

誰かと料理の話をすると、以前は「ええ、どんなの作るの?」「何種類くらい作れるの?」などと聞かれることが多かった。「どんなのって言われても、普通の主婦が作るようなものはたいていのものが作れるし、何種類と言われても、普通の主婦が何種類くらい作れるのかも知らないから、答えようがないね」としか答えるしかない。

料理というのは組み合わせだから、何を持って種類とするかが難しい。サラダだって、具を入れ替えれば、数えきれないくらいの種類になるし、炊き込みご飯だって、味噌汁だって、炒めものだって、揚げ物だって、天ぷらだって、煮物だって、丼ものだって、具や味付けによって数えきれなくらいの種類が生まれてしまう。だから、料理をつくる人に、そういうお馬鹿な質問はけっしてしてはいけない。そんな質問をする人は、料理ができないダメ人間だということを証明するようなものだから、ぜったいにやめておいたほうがいい。30年前までならそれでもよかったかもしれないが、いまどき料理ができない人というのは、男女を問わず、世間知らず、低能、不躾などの侮蔑語と同義なんですよ。


ウッドブラインド [物欲]





我が家は今年11歳。リヴィングルームのローマンシェードカーテンが日焼けや長年のホコリで変色していたり、擦り切れて穴が開いている所もあるし、ストッパーが壊れて、カーテンが下りてこなかったり、上がらなかったり、途中で止まらなかったりして、イライラしている。カーテンの寿命はせいぜい10年か15年位だろう。20年も30年も使っている家庭もあるかもしれないが、10年もたてば、日差しを受けて色もあせるし、繊維だってもろくなってくるものだ。

というわけで、今年はリヴィングルームのカーテンを新調することにした。茶色を基調にした部屋なので、茶色で統一感を出したいのだが、さすがに茶色のカーテンは変だと思う。レースのカーテンも埃っぽくて汚らしいから、外してしまおうと考えている。現在使用中のカーテンは黄色で、外壁と同じ色なので、案外気に入っているのだが、またもや黄色では新鮮味が感じられない。そこで、今回は、ウッドブラインドにしてみようと考えている。

わたしの書斎の窓にはウッドブラインドを設置しているのだが、これがけっこう使い勝手がいい。しかも、壊れにくいし、高級感も演出できる。色あせもない。金属のブラインドとも違って錆びることもない。

妻に相談すれば、おそらくウッドブラインドなんかいやだと抵抗してくるだろう。どんなことであっても、何かいうと「でも」といって否定する人だから、相手にしないつもりだ。どうせ私がお金を払うのだから、私の好きなようにさせてもらう。それが嫌なら、自分でお金を出して、自分で選んで、自分で設置すればいい。

承認欲求 [雑感]

この世に承認欲求のない人はめったにいないだろう。承認欲求とは、自分の存在価値や努力や能力を誰かに認めてもらいたいという気持ちのことである。人は誰かに認められたいという気持ちがあるからこそ、頑張って仕事をしたり、いいものを買ったり(高級腕時計とか高級車とか)、発言したり書いたりするわけで、誰にも認められなくても構わないというのであれば、特別なことは何もしないし、何も買わないし、つねに誰にも話しかけることもないはずだ。

誰かを好きになるのもまた承認欲求に基づくものだろう。その人に自分は重要な人物であり、その人を幸せにできる人物であり、その人の価値を高められる存在であるということを、認めてもらいたいという気持ちがあるからこそ、相手とのコミュニケーションを図るわけだ。

そうは言っても、自分の価値を認めてもらえないことも多い。たいていの場合、人はそういう人を次第に無視するか、嫌いになっていくものだ。

上司や会社などへの忠誠心も家族愛も同じことが言える。もし上司がつねに自分を馬鹿にし、けなし続けるのであれば、忠誠心なんて抱けるはずがない。もし会社が仕事の質の改善を要求し、それに応え続けているにもかかわらず、その努力や成果に見合うだけの昇給を与えてくれないなら、アホらしくて、会社の利益になるように行動することは諦めてしまうだろう。また、もし妻が自分のことを給料を運んでくるだけの存在としてしか見ておらず、いっさい感謝の気持ちを示すことなく、しかも軽蔑すらしているような人の場合、一緒にいるだけ時間の無駄だし、早々に離縁したいと考えるようになっていく。

以上のように、承認欲求は人間の行動を支える重要な要因であると考えられる。ジグムント・フロイトは人間のあらゆる行動は性的衝動(リビドー)によって突き動かされていると主張したが、むしろ、人間を動かす力としては、このような承認欲求のほうが強いのではないだろうか。