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科学的思考が重要 [雑感]

割れた腹筋は本当に必要ですか? 文化人類学者が説く科学との付き合い方 - 朝日新聞デジタル&M

 科学とは非常に謙虚な営みであり、そんなに簡単に「こちらが正しくてあちらは間違っている」といった白黒の結論は導くことができません。私たちの生き方は非常に多様ですし、持って生まれた身体の特徴も異なります。このような多様性を無視し、十把ひとからげに何かを言いきるような物言いは、たとえそれが権威ある人から発せられたものでも少し距離を取るべきなのではと思います。


今の世の中はevidence-basedになっているけれど、実のところ、その証拠(evidence)には確証がないかもしれない。時代が変われば、パラダイム(思考の枠組み)もシフトするように、ある時代の常識が、次の時代では非常識になることも多い。

だからこそ、科学は謙虚であらねばならない。一つの事実を真実だと決めつけてはいけないのだ。ましてや、国家などというものは、「この道しかない」などという傲慢なことを絶対に言ってはいけない。

私が日頃、不愉快に思っているのは「ライザップ」のCMだ。テレビでおなじみだから、わざわざ説明するほどのものでもないが、afterをよく見せるために、わざわざbeforeを猫背にしている。あの意図的な「印象操作」が腹立たしい。もし贅肉たっぷりの腹をした男女が、堂々と自信たっぷりに立っていたら、誰もみすぼらしい体をしているとは思わないはずだ。文化人類学者の磯野真穂さんが言っているように、腹筋が6つに割れている必要など、肉体労働者ではない人間にとって全く不必要である。あんなものは無意味な努力なのだ。

集団というものは、つねに警戒していないと、ひとつの価値観に染まってしまいがちである。それは非常に危険なことだ。自分が見ているパースペクティヴのみが真実の世界であり、他人のパースペクティヴなど存在しないという錯覚に陥ってしまうと、他者との衝突が起こる。

人間は愚かな生き物だから、有史以来、そうやって他者と衝突してきた。しかし、グローバル化が進行する今、そのような視野狭窄的な姿勢を放置しておくことはできない。この世の中で、うまく生きていくためには、つねに、反対側のモノの見方も存在するという意識を持たなければならない。科学的思考というのは、本来そういうものである。真実を突き止める強い衝動を持つことと同時に、それはもしかしたら真実ではないかもしれないという疑念を持ち続けることが科学的思考である。それは理系特有の思想ではなく、文系の思想でもある。