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ガラパゴス的な発想とは [雑感]

日本はガラパゴスだと言って批判をする人がいる。たとえば、社会制度や工業製品など、欧米の規格に合わないものはすべて自虐的に「ガラパゴス」と呼び、グローバル化に対応するために、欧米に合わせなければいけないなどと主張する。

そもそも彼らは「ガラパゴス」や「グローバル化」を根本的に誤解している。ガラパゴス諸島のイグアナたちが、生き残りをかけて自分たちの生活環境に適応するために独自に進化したという意味なら、何も悪いことはない。もしイグアナたちが他所の島のやり方を真似したとしたら、環境に適応できず、全滅しただろう。だから、独自の進化をすることを「ガラパゴス」を揶揄するようなことこそが、ガラパゴス的な発想であって、そういうガラパゴス的な発想は直ちに捨てなければならないものなのだ。(古来、日本人は大国に合わせようという考え方でやってきたが、いまだにその考えから脱皮できていないのである。)

また「グローバル化」に適応することと、欧米の規格に合わせることとは直接関係がない。グローバル化というのは、単一の世界標準というものがなくなり、あらゆる規格が並列的に乱立することであり、そこには優劣はなくなるということなのだ。もし欧米の規格に合わせるというのなら、それは単なる欧米化にすぎず、グローバル化には適応できていないということになる。

いずれにせよ、日本人は、いまだに「グローバル化」を「西洋化」だと思い続けている。明治の文明開化で受けたショックが抜け切れていないのだ。西洋はその先のグローバル化に進んでいるというのに、日本は相変わらず、西洋の背中を追いかけ続けている。

呆れるほどに、国家を挙げて英語教育に力を入れているのは、日本人の精神の後進性の証拠である。グローバル化に対応するためには、英語さえできればいいという思い込み自体が、グローバル化に対応できいないことの証拠であるということに気づくまでに、あとどれくらいの無駄な時間がかかるのだろうか。

市井では、グローバル化が着実に進行してきており、私の家の近所にもどこかの国から来た人たちが多数住んでいる。彼らはおそらく英語や日本語も十分にできない人たちだ。そういう人たちと一緒に仕事をしたり、仲良く暮らすという状況こそが本当のグローバル化なのである。

私の教え子にもよくいるが、英語ができることで優越感を持って、出来ない人をバカにしたり、外国語を勉強しているくせに、西洋人以外の外国人を差別したり、彼らに恐怖を感じたりしている人がいる。そういうメンタリティーを払拭することこそが「グローバル教育」なのだが、相も変わらず、彼らは英語でちょっとした会話ができたり、TOEICのスコアさえ高ければ、自分は偉いのだと信じ込んでいる。彼らは明治維新から何一つ進歩していないのだ。

これ以上、彼らのような自分の頭で考えることができない「ガラパゴス」な人たちを増やしてはいけないと思う。



モンちゃんって、本当にかわいいなあ。



モンちゃんの最後の言葉には全面的に同意する。