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「愛国的リバタリアン」という怪物 (内田樹の研究室) [雑感]

「愛国的リバタリアン」という怪物 (内田樹の研究室)

「ネトウヨ」は、政府に反抗的な態度を取る者や、障害者や生活保護を受けている弱者や彼らを支援する者たちをひとまとめにし、外国人の思想に感染し、外国に利益をもたらそうとする「非日本人」=「外国人」として見なす。しかも、おなじみの自己責任論を振りかざし、弱者になったものは自分が悪いのだから死ねと放言する。

この自己責任論は一見アメリカの伝統的な自由を重んじるリバタリアニズムに似ているように思える。リバタリアニズムとは、個人の自由を過大に重視し、社会的平等やリソースの分配を徹頭徹尾否定する立場である。自分の身は自分で守ればいいのだから、軍隊すら不要だと主張する。

実のところ、「ネトウヨ」の自己責任論はリバタリアニズムに徹することは出来ず、中途半端に国家権力に依存ものとなっている。自己責任論を訴えるのなら、国家権力に依存することはできないのだから、彼らはリバタリアンではない。

「ネトウヨ」は政府がマッチョで暴力的であればあるほど、政府に自分たちの心情を重ね合わせ、本来弱者である自分たちを慰撫する。国家権力が巨大化すれば巨大化するほど、アタマの中が弱者であるネトウヨは、自らが強くなったように錯覚して大喜びするのだ。

本来の愛国主義が目指すものは、国民の幸せを実現することであり、自分の考えとは合わない人を排除したり、国家権力をより強大化し、国民全員を国家権力の監視下に置き、彼らから自由を奪うことを希求するものではない。

日本の「ネトウヨ」は、自らまったく気づいていないようだが、愛国主義とは無関係な不思議なロジックの上に乗っている。彼らは「ウヨ」ですらない。内田先生は、彼らに「愛国的リバタリアンという怪物」という格好良い名前を与えているが、連中は政治の私物化を通しての王朝樹立を目指す安倍政権に都合の良いように利用されているだけの、タダのネット上のゴミにすぎない。